『手当て』

先日、NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組で「何故人は手を繋ぐのか」という問題が出されました。

手を繋ぐことによって得られる安心・安全の思いは、大抵の方が幼少期に親に手を引かれた経験があるでしょうし、その時に得られた記憶もあるでしょう。でもそれは、交通事故や他者から自分を守ってもらえるという外形的な感情だけではないように思えます。

ある女優が幼い頃、母親に手を引かれて歩いていたのですが、母親は知人に出会った瞬間、自分の手をはなして知人に近寄り親しそうに話しかけたそうです。その女優は子供心に、母親は自分よりこの人の方が大事なんだと感じて、寂しい気持ちになったそうです。

ナイーブな話ですが、子供にとって親と手を繋ぐ行為には、へその緒で繋がっていた胎児期の一体感を思い起こす深層心理が潜んでいるのかも知れません。もっとも、成長してくると、逆に親の手を振りほどき、自分一人で歩こうとしますね。これは自立心の芽生えで、成長の証でもあるのですが。

また当番組では、手を繋いでいると痛みが和らぐという実験もしていました。何でも人間の皮膚では、痛みを感じるより、誰かに触られている感覚の方が優先順位が高いらしく、そちらに注意がいくため痛みの感覚が弱くなるようです。

「手当て」という言葉がありますが、本来、痛い所に手を当ててあげることが手当であり、それによって痛みが軽減されるという経験を踏まえているのでしょう。

おさづけの場合も患部に手を当てますから、手当の要素を持っていると言えるでしょうが、その上で、寄り添い、助かりを願う心を通じ合わせることが大切なのでしょう。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2025年9月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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