「痩さし」は「優し」

『天理いきいき通信』9月号巻頭の茶木谷氏のコラムで

“【優しい】の語源は【痩さし】。つまり痩せていると言う意味で、そこから「やせ細るほど辛い」「みすぼらしく恥ずかしい」の意味が生じ、その後「慎み深い」「上品だ」「温和だ」という意味に変わっていった。また身も細るほど辛いことを経験した人は、そういう辛さを抱えた人の気持ちが一番解る人で「優しく」なれたのでは“

といった主旨のことを述べられていました。

が、私はそれに加えて、その言葉の意味の変遷の中に、母親像があったのではないかと思うのです。

古来より男尊女卑社会の中、大抵の母親が家事・育児の他、農作業のような家業もこなし、文字通り、身を粉にして働いていたのではないか。その上で子供達に深い愛情を注いできた。その痩せた姿の母親を、「優しさ」の象徴として見て来たのではないかと思えたのです。本教の教祖もまた、痩せたお姿の中でお子様達を慈しみ育てられた。そのみちすがらが目に浮かびます。

また、茶木谷氏も指摘されているように、痩せてる方を見てその苦労を思い、その中に優しさを見出すというのも、日本人の優しい感性なのでしょう。

古語で【恥ずかしい】という言葉は「立派だ」とか「優れている」という意味で使われています。相手が優れて見えるから自分は恥ずかしい気持ちになるということですね。【物足りない】【寂しい】というのも、貧相な情況に対し感情移入された言葉なのでしょう。
このように日本語には、外見を表す表現の中に、こちらの心情が込められている言葉が幾つかみられるようです。

それはさておき、もし世の母親全てが、まるまる太っている「肝っ玉母さん」ばっかりだったら「太った」という外見を表す言葉に、こちらの心情を表した「頼りになる」という意味合いが加わっていたかも知れませんね。

誰の作だったか忘れたのですが <ダリア刈る 生涯の妻 足太し> という俳句がありました。これは母子でなく夫婦間の事柄ですが、「太し」の中に頼もしさや信頼を寄せる気持ちが込められていますね。

蛇足ながら、ここで太っている母親は優しくないといっている訳ではないので、その点は誤解無きよう(笑)

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2025年10月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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