命=時間

激烈に議会と対決する動画が拡散し、全国的に注目を浴びている広島安芸高田市の石丸市長が、今年の成人式の祝辞でこんなことを言っていました。

命とは時間なんだ、君たちも生きている今の時間を大切にしなければならない、同時に時間を共有する仲間たちも大事にしなければならない

およそそのような内容だったと思います。素晴らしいスピーチではありました。

ただ、厳密に言いますと、命=時間ではなく、時間は命の属性でしょうね。苔むした岩にも時間はあるでしょうが、これは命ではありません。命とは生きていることそのもので、個人が主体的に活動できる前提と言えます。命の捉え方は色々あると思いますが、石丸市長は躊躇なく、命=時間と言い切ることで、強いインパクト(衝撃)と説得力を生み出しています。

定義は兎も角、余命宣告された方にとっては、命は正に=時間となるでしょう。或は命とは、「神様から与えられた時間」と言い替えていいのかも知れません。

骨髄性白血病を患い、余命幾ばくもないと宣告された友人がいます。本人は淡々とその時を待ってる様子で、今が一番幸せだとか、皆に感謝しながら お別れを言ってるところだと語っていました。

それを聞いて私の家内が末期がんになった時のことを思い出しました。病床においては、死を前提にした言葉を発すると死期が近くなるような気がし、私は決して口にしませんでした。そして、いつか治ると言い続け、彼女もこちらの気持ちを察してか、間際まで私も奇跡を信じていると語って居りました。

彼に対しても最後まで諦めないで欲しいとの思いから、こんな歌を送りました。

“死期近し 世話になったと告ぐ君よ 俺は死なぬと 言い張ってくれ”

彼は有難うと言いつつ、ただ、残りの時間を楽しみたいと明るく返してきました。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2023年12月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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