方言も悲しい 能登半島地震

今年の元旦に起きた震度7の能登の地震
郷里を出てより70年を経たが
珠洲市は私のふるさとである
親族が暮らしている

自身も高齢となり膝の手術で入院中の身
何とて出来ず、皆の安否を気遣いながら
心配を祈りに変えるしかなく
ただただTVのニュース画面に喰らいつくばかり

やっと退院して現地の道路事情、郵便事情を確認しつつ
宛て所にすんでいるか?否かも判らず
数軒に見舞金を送ることにした

送った数だけまだ返事は来ない…
避難しているのか?
返ってくる返事は…
同級生が245人の死者の一人だった!

叉2万坪に及ぶ昔からのお寺も崩壊!
住職さんから
どうしたらよいやら…とか、
家が傾き、年老いた夫婦二人が住める部屋だけ作ってもらい、
かろうじて住んでいる…とか、
聞いているだけで胸が痛い!
私の根底にある故郷の山や海や川
駆け巡った山里が崩れている

元気になったらぁ〜
叉帰っていらしけぇー

と言われた声が悲しーい

珠洲市 見附島(軍艦島) 観光名物だったこの島ももう 無い…

この記事を書いたのは…
  • 名前:甲斐繁子(かいしげこ)
  • 教会:百萬分教会(宮﨑部属)
  • 立場:教人
  • 所在:大阪市東住吉区
  • 猛暑とコロナに閉じ込められ自由を失った老人の日課は、ごみや吸い殻、缶拾いと草むしり。認知症の予防にもなると大教会からのオファーに応え、これまでの日々のあれこれを振り返ってみることにしました。
  • 文章に添えられたイラストも甲斐さんの手によるもの
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