【身近な外国人に】

毎朝7時 ピンポ〜ンと表に人の気配。
浅黒ーい皮膚のインドネシア人が…

「し・つ・も・んがあります!」
と。
「今日は、何?」
「ゴミのチェックしてくださぁ〜い」
とか、
「何処で買いますか?」
と庭箒を指差す

長い間空き家になっていた2件隣の家が売れて、何処かの会社がシェアハウスとして使うべく、3人のシンドネシア人の若者が超高齢の80代の爺ちゃん婆ちゃんの住む町会に越してきた!
もちろん挨拶はない!

そこへクーラーを取り付けに来た工事のお兄さん。
それぞれが片言の日本語、英語、インドネシア語、発音が分からない!
花の水やりをしていた私に話しかけてきた。
私も60年前に仕事で英語圏で過ごしたことはあるものの、すっかり忘れてしまってるー
とりあえず、お互いに自己紹介はしたものの、5人ですったもんだ。

「えらい時代になってきましたねー」
と工事のお兄さんに言ったら、
「私は中国人です!」
と。
「え~っ?」
あ〜コリャダメだ!翌日からゴミの分別を教えなくてはならなくなった。

考えた!
大きな紙に日〜土曜日までを表にして、行政から配られたパンフをコピー拡大して、曜日ごとに絵で描かれたゴミの種類を貼って渡した。資源、プラ、ペットボトルは同じ日だったから、私の説明不足で一つの袋に混ぜて入れられていたので、置いていかれた。

夜、仕事帰りの彼らに、袋を3枚並べてゴミを分けて入れて見せたら、
「べつ べつに?」
と彼らが言った。
こんな日本語知ってるんだー
それから、私はスマホの翻訳アプリからインドネシア語を探して
『スラマッパーギー(おはよう)』
『サマサマー(どういたしまして)』
『ジャガーラ(行ってらっしゃい)』 etc…
初めは訝しげに見ていた若者たちも、私がインドネシア語で言うと「オー」と満面の笑み。彼らの片言の日本語、私の片言のインドネシア語(?)ん!なんかおかし〜い。でも、距離がぐ〜んと縮まった。

余ってるバケツ、雑巾もあげた。
Golden weekで休みが続くと言うので
「もし、良かったら私の神様のHead Church(おぢば)へ案内しましょうか?」
と聞いたら、
「私は、イスラムです。」
と言った。残念!

私の郷里の能登の家は街道通りに面していた。祖母は道行く人を呼び止めては
「お茶でも 呑んで休んで行かしけぇ〜」
と。 
「旅の人なら お茶でもあげよ わしにも旅する子がござる…」
と。

都会や他府県へ出て働く、子どもたちのことを思う親心だったのだろう。

この記事を書いたのは…
  • 名前:甲斐繁子(かいしげこ)
  • 教会:百萬分教会(宮﨑部属)
  • 立場:教人
  • 所在:大阪市東住吉区
  • 猛暑とコロナに閉じ込められ自由を失った老人の日課は、ごみや吸い殻、缶拾いと草むしり。認知症の予防にもなると大教会からのオファーに応え、これまでの日々のあれこれを振り返ってみることにしました。
  • 文章に添えられたイラストも甲斐さんの手によるもの
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