『田舎の厭らしさは…』

凡そ半世紀ほど前、アングラ・フォークソングの神様と言われた岡林信康は、
“田舎の厭らしさは蜘蛛の巣のようで おせっかいのべたべた 息が詰まりそう。だから俺は町に出たんだ。義理と人情の蟻地獄 俺らいち抜けた♪♪ ”
と歌いました。

中世ヨーロッパでは「都市の空気は自由にする」と言う言葉が囁かれました。洋の東西を問わず、農作業は協同で行われることが多く、地域の連帯意識が強い反面、村の掟の様なものがあったり、束縛や監視の目が厳しかったりと。
そんな伝統から逃げ出したい気持ちを表したのが、先の岡林信康の歌だったのでしょう。ただ彼の場合、地方の牧師の子として生まれた環境から、常に周囲の目を気にしてきたという事情もあったのではないか、それで余計にしがらみから逃れたいと言う気持ちが湧いてきたのではないかとも思われます。
しかし彼は大学在籍中に、社会の底辺と言われた東京山谷のドヤ街に移り住み、日雇い労働者と一緒に土方作業をしたり、参加していた学生運動が終息を迎えるに至っては、農村に戻って農作業を始めたりするのですが。

人が集まるから都市になるのか、都市だから人が集まって来るのか、いずれにせよ、商工業が盛んになるにつれ、人が集積するようになり都市が形成されていくのですが、都市は賑やかで華やかで自由な雰囲気を持っておりますから、人々が憧れるのは尤もなのですが、その代償として、人と人の繋がりが薄れていき、俳句の「隣は何をする人ぞ」の世界になっているように思えます。

「神は田園を作り、人は都市を作った」というウイリアム・クーパーの詩があります。
キリスト教における天国エデンの園も田園風景ですが、本教のみかぐらうたに歌われる陽気ぐらし世界においても、農耕社会の中でお互い助け合う様相が目に浮かんできます。自然あふれる場所では、自然の造形美とその生成・成長の過程で「神の御業」を感じやすいということがあるでしょうし、自然に影響される農耕や収穫作業においては、神に祈り感謝する気持ちが自然に湧いてくるのでしょう。

それに比べると、都会は天国とは縁遠い世界に見えてきますが、かと言って人類が都市を放棄することにはならないでしょう。都市部においては、その利便性の陰で、孤独死が増えたり、災害時での共助がうまくいかなかったりと、田舎とは違った課題がみられます。人と人を繋ぎ、助け合う場所、家族のように集える場所、失われた田舎を思い出せる空間が、そこで求められているのかも知れません。
そしてそれが教会・布教所の役割なのではないかと思ったりします。

と言いつつ、人と人の心の繋がりをスマホに託している現状は、今や都会だけではないのかも知れませんが。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2025年8月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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