『心の成人』

以前、この欄でキリスト教新約聖書の中のマタイによる福音書の創世記の項に書かれている『初めに言葉ありき』という有名な一節について触れました。

その原書はギリシャ語で書かれており、「言葉」と訳されている箇所の表記は「ロゴス」となっており、これは本来「論理」という意味であり、この世界を治める法則、根本原理を指すものだと宗教学者の間で論じられています。本教に当てはめるとこれは即ち「天理」となり、それ故この一節は『初めに天理ありき』となるだろうと書きました。

同福音書では、その一節に続きがあって『言葉は神であった』となっています。本教に直すと『天理は神であった』となります。納得ですね。

問題は神の意図で作られ、理想世界であるべきこの世が、災害や争いにあふれ、とても幸福な社会とは思えない現状です。

西洋思想では創造神は全知全能・完全無欠の存在とされますが、それなのに何故かくも不合理かつ理不尽な社会を作られたのか、何故最初から災害と騒乱の無い世界を作ってくれなかったのかと訝しがれ、論争もされてきました。

その原因として、神の掟を破った人類の原罪とするユダヤ教・キリスト教の教えや、人々の悪行が業となり因縁となって今に至るという仏教的な解釈があり、本教もこちらの教えに近いのですが、そもそも人に心の自由を与えることでそうなる事は最初から分かっていたはずなのに、何故人の心の中に強欲や猜疑心・嫉妬心などの悪行の種を紛れ込ませてしまったのか、それも根本原理=天理の中の一部分なのかが問われています。宗教学者もこの問題にしっかりとは答え切れてないと思えます。

それでも尚、いや、だからこそ人は力を合わせてこの課題を克服していかなければならないのかも知れません。

地球上では様々な生物の進化があり、今もなお進化し続けているといえます。この世はさながら神の実験場のように進化が促されているように思えますが、同時に心の進化即ち本教で言う心の成人もまた促されているのかも知れません。

その心の成人こそが「神が共に楽しみたい」ことの本意なのかも知れません。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2025年6月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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