失敗学

中島みゆきさんの「竜の背に乗って」という歌に、
『傷跡、羅針盤になれ』
と言うフレーズがあります。心に刺さりますね。

失敗したり挫折したりした後の心の傷の痛みが、その後の人生の良き羅針盤になると言うことでしょうか?

よく失敗は成功の基と言われますが、余り苦労せずに得られた成功は、多分に運によるものであったりして、調子に乗ると大失敗につながることもあります。

一方でアップル社の創業者ジョブズ氏は、
「私は一度も失敗したことはない。上手くいかないことは全て次の成功の種になったものばかりだ」
と言っていました。

他の人が失敗だと思っていることも、彼はポジティブに捉えていたのでしょう。

また成功者からは、成功例より失敗例を聞いた方が有益とも言われ、「失敗学」なる学問があったりもします。失敗のない人生は無いと思いますが、失敗から何を学び、どう克服していくかが、何より重要なのでしょう。

個人的な失敗に関する「失敗学」はさておき、人類全体についての「失敗学」は成り立っていくのでしょうか?

キリスト教ではイエスが人類の罪を全て背負って磔の刑に処せられた。それで贖罪された。つまり神から許されたということになっていますが、イエスの死後においても、人類は悔い改めるどころか、いまだに犯罪を繰り返し、世界各地における血生臭い戦闘も絶えることがありません。懲りないと言いますか、失敗の教訓が何ら得られてないように感じてしまいます。

人類において、傷跡が羅針盤になったり、ジョブズ氏にならって、上手くいかなかったことを今後の成功の種にしていくことが、果たして可能なのでしょうか。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2023年11月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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