音と言うものは空気の振動によって生まれます。

音は波長や波形の違いにより聞こえ方も違ってきます。
様々な音を奏でる為の多くの楽器もあります。
また、音を連続して出す場合の音と音の間隔が、リズムと言われるもので、音の高低の並び方がメロディーとなり楽曲を形成します。
そして、完成された楽曲が耳に入る時、人は楽しい気分になったり、悲しい思いに浸ったり、慰められたり、勇気を貰ったり、感動したりします。
でも不思議に思いませんか?
それらはただの空気の振動に過ぎないんですよ。
言葉のように予め意味が与えられてるものとは違いますね。
話は変わりますが、今、世上では、コロナ禍やウクライナでの終わりの見えない戦争を憂慮し、お道に限らず、全ての宗教団体や信仰者が、その収束を願って毎日懸命にお祈りしていることと思います。
が、何ら成果らしきものが見られず、無力感におそわれたり、諦めの心境に至ったりしているのではないかと思われます。
果たして皆の祈りは全く無意味で無駄な営為だったのでしょうか?
しかし、もし世の不幸に心を痛め、その解決を願うことも無く、誰もが祈ったりしない社会であったとしたら、もっと寂しいものになると思います。
そして先程の音楽の話で、ただの空気の振動が世界の人の心を動かすように、人々の祈りの波動が、いつか世界中の人の心を一つにするような大きな力になっていくことを願ってやまないものです。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2023年12月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英
