『恩送り』

明けましておめでとうございます。
早くも教祖140年祭への2年目の年を迎えることとなりました。それぞれに種々抱負を持たれていることと存じます。

偶々ウェブ上で、ある女子中学生によるこんな投稿を見かけました。

家庭内でちょっとした悩みを抱えていた彼女が、東京から関西の自宅まで一人で鈍行に乗って帰っていたのですが、運行情報に疎く、その電車が長野のひなびた駅が終点となっていたために、そこで降りなければならない羽目になりました。
夜も遅く、不安と心細さで一杯になりながらも空腹の為、灯りのついていた一軒の食堂を見つけ中に入ると、少年野球チームの保護者達の飲み会に出くわします。その中の一人が少女の出で立ちをいぶかしく思い事情を聴いて来て、まだ電車が走っている別の遠方の駅まで送るからと申し出てくれました。 家出だと思ったその方は自分にも同じ年頃の娘がいてほっとけない気持ちになっていたそうです。
その後、電車で迎えに来た父と、その駅で無事合流出来たのですが、その時の感激と感謝の思いから、自分も誰かに親切に出来る人になりたいと思った彼女は、ある日の混み合った車内で赤ん坊を抱いた女性が乗ってきた時、直ぐに席を譲りました。
深くお礼を言われ、座った女性が下車した後に又席に戻ると、今度は二人連れの客が乗り込んで来たので、自分が退けば二人が座れると判断して、離れた席に移動した のですが、いつのまにか眠り込んでいました。すると隣に座っていたおじさんが、乗り過ごしていないかと心配して降りる駅はどこか、今○○駅を出た所だと教えてくれ、そしてあなたが席を譲っていた一部始終を見ていた、私は勇気がなくそれが出来なかったが、あなたは素晴らしいと褒めてくれ、私も終点で降りるので着いたら起こすからゆっくり寝ていなさいと言われたそうです。

彼女は、何か親切って回り回って行くんだ、自分もその輪の中にいるんだと思えて、ほめられたことよりもその一員になれたことが有難いと感じられたそうです。

実際、例え小さな親切の連鎖であったとしても、繋がり、そしてその輪が拡がっていくことに意味があると思えますね。

これは、親切を受けた人への恩返しではなく、別の人に届ける「恩送り」という行為なのでしょうが、稿本天理教教祖伝逸話篇の種市さんのお話を思い起こします。

稿本天理教教祖伝逸話篇一三 種を蒔くのやで

摂津国安立村に、「種市」という屋号で花の種を売って歩く前田藤助、タツという夫婦があった。二人の間には、次々と子供が出来た。もう、これぐらいで結構と思っていると、慶応元年、また子供が生まれることになった。それで、タツは、大和国に、願うと、子供をおろして下さる神様があると聞いて、大和へ来た。しかし、そこへは行かず、不思議なお導きで、庄屋敷村へ帰り、教祖(おやさま)にお目通りさせて頂いた。すると、教祖(おやさま)は、
「あんたは、種市さんや。あんたは種を蒔くのやで。」
と、仰せになった。タツは、「種を蒔くとは、どうするのですか。」と、尋ねた。すると、教祖(おやさま)は、
「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで。」
と、お教えになった。更に、お腹の子供について、
「子供はおろしてはならんで。今年生まれる子は、男や。あんたの家の後取りや。」
と、仰せられた。このお言葉が胸にこたえて、タツは、子供をおろすことは思いとどまった。のみならず、夫の藤助にも話をして、それからは、夫婦ともおぢばへ帰り、教祖(おやさま)から度々お仕込み頂いた。子供は、その年六月十八日安産させて頂き、藤次郎と名付けた。
こうして、二人は、花の種を売りながら、天理王命の神名を人々の胸に伝えて廻わった。そして、病人があると、二人のうち一人が、おぢばへ帰ってお願いした。すると、どんな病人でも次々と救かった。

教祖に救けられた種市さんが、教祖に何かお返しさせて頂きたいと申し出られた時に、花の種を撒くように世界の人に教えを広めて欲しいと言われたようですが、これも「恩送り」することが恩返しになるというお諭しなのでしょう。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2024年1月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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