『継続は力なり』

「継続は力なり」ということばがあります。

何かを成し遂げる為には続けることが肝要であり、その為に継続する力、つまり意志力や忍耐力も必要とされるのです
が、地道な継続が大きな力となって、素晴らしい成果や進歩が得られるという事ですね。
体力、能力、技術等、スポーツにおけるトップ選手の並外れた力量や、優れた芸術作品・卓越した職人技などは、弛まなきトレーニングや実践を通してしか得られないものでしょう。
  
そのような大それたことでなく、一般人の些細な事と思われるような日々の行動においても、継続は確かに力になっていくものだと思います。例えば道路のゴミを集めたり、学童の登校時に交通整理を行ったりしていることが周辺の人々から確かな信頼を得、有形無形の力になるといった事は多々みられることだと思います。

話は少し変わりますが、日々の信仰生活の中で、朝夕のおつとめに際して種々の祈りの言葉を発したりします。お願いづとめに限らず、毎時身上者の健康回復を願っておつとめさせて貰うのですが、中々ご守護をいただけない場合、毎日同じ文言を繰
り返したりします。果たしてそれに意味があるのだろうか、偽善もしくは自己満足に過ぎないのではないのか、或はただ惰性でやっているだけではないのか等と、自問自答したりもします。
 
その祈りの思いが当の身上者の心に伝わり得るのか、或は天に届いたりするのか、そんなことは分りません。
しかし、一つ言えるのは、名を唱えることで当人を思い出し、その苦痛に思いを馳せ、心を寄せることは出来ると言うことでしょう。
そして、先程の「継続は力なり」のごとく、続けることに意味があるのでしょうし、その中で見えてくるものがきっとあると思えるのです。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2024年2月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

Share Please!!
  • URLをコピーしました!