桜守と『理は末代』

日本庭園を愛するイギリスの方が、友人と千年咲き続ける福島三春の滝桜の地を訪れた時、老若二人の男が桜の枝を切っている場面に出くわします。

英国人達は驚き、彼ら二人がこの大切な桜を傷つけようとしていると思って
「あなた方は一体、何をやっているんですか」
と問い詰めます。

二人は、急に外国人に話しかけられて戸惑いつつも、自分達親子は桜守で桜の管理をしていると答えます。桜守と言う言葉を初めて聞いた彼らは、そんな職業もあるのかと思いながら、桜の花の咲く時期でもないのにどんな作業をしているのかと聞くと、彼らは
「私達は桜を美しく咲かせる為の剪定や病気や害虫被害を防ぐ為の健康管理をしており、その真価が問われるのは桜の咲く春の時期でなく、それ以外の季節だ。」
と答え、更にその二人が3代に渡る桜守で、全てボランティアでこの作業をおこなっていると話しました。

イギリス人はその話を聞いて驚嘆し、何でそこまでするのかと尋ねると、彼らは暫し考えてから
「これは私らにとってご神木だからだ。」
と答えました。

この桜のボランティアには400人もの方が名を連ね、中には16代に渡る桜守も居るとのこと。それを聞いた彼らは、この桜が千年も美しく咲き続ける秘密を知り、大いに感服したそうです。

花が咲く前でなく、散った後も手入れを欠かさない…

美しい花を見させて貰った恩返しなのでしょうか。次の年もその次の年も、ずっとずっと美しく咲き続けて欲しいとの願いでしょうか。この地道な作業が恩送りとなり、未来の人へのプレゼントになるのでしょう。

そしてその結果として「末代まで咲き続ける」と言うことの意味において、『理は末代』と言う言葉を想起せざるを得ません。やはり理が末代となり得るのも、桜守のような方が日々丹精された結果齎されるものであって、何もしなくても自然にそうなると言うものではないと言うことでしょう。

桜守が毎年美しい花を咲かせるように、我々も日々丹精を重ね、美しい理の花を咲かし続けていければいいですね。

※画像は福島三春の滝桜

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2024年3月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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