『山の仙人 里の仙人』

かつてアメリカの宇宙飛行士が、暗闇の宇宙から地球を見て
「何て美しい星なんだ、こんなに稀な、掛け替えのない地球で争い事をするなんて全く馬鹿げたことだ」
と感じたと語っていました。
が、同僚の飛行士の中の一人は、宇宙から帰還した一年後に家庭不和となり離婚したそうです。(立花隆「宇宙からの帰還」より)

離れた所から客観的にみるのと、人々の中で揉まれ葛藤する生身の生活とでは、全く違うものなのですね。
家の埃は人が居なくても積もったりするものですが、心の埃は人と人の関係の中で生じてくるようです。

教祖でさえ、嫁と姑の絡みだったのでしょうか。
「台所へ出ると埃がつく」 (改定 正文遺韻)
と仰せられたそうですから。

中国に古くから伝わる格言で、
「小賢は山陰に遁し、大賢は市井に遁す(しょうけんはさんいんにとんし、たいけんはしせいにとんす)」
という言葉があります。

本当の賢者は、山にこもって修行したり、読書に浸ったりして下界との接触を避けるのでなく、庶民の実生活の中に入り込んで、喜怒哀楽を共にするものだという意味ですが、お道の者なら直ぐにピンときますよね。

そう、
「山の仙人ではなく里の仙人になれ」
と言うお言葉ですね。

このように格言のようなものを、誰でも分かるように分り易い言葉で示されているのが本教の特徴ですが、人里離れた所で一人悟りを得るのでなく、人の間に入って積極的に人助けに努め、そこで埃まみれになって苦労する中に、山の中では得られない自らの成長も見込めるということでしょうか。

ここで駄句を一つ。
“土中にありて真白き大根かな”

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2023年4月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

Share Please!!
  • URLをコピーしました!