『あるYouTuberの投稿』から

俺には母親が居ない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。
生まれた時から耳が聞こえなかったが
物心ついた時には既に手話を使っていた。
耳が聞こえないことで俺は随分苦労した。
普通の学校は行けず
障碍者用の学校で学童期を過ごしたわけだが
片親だったこともあってか
近所の子供に馬鹿にされた。
思春期を迎えても
「こんな人間に産んで」と親を恨み
暴力を振るったりと
荒んだ生活をしていた。

そんな生活の中で
唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が生まれた後
ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。
何度も悩み相談に乗ってくれた。

そんなある日
どうしようもなく傷つくことがあって
愚痴のような相談の途中
多分「死にたい」ということを
手話で表した時だと思う。

先生は急に怒り出し
俺の頬をおもいっきり殴った。
俺はびっくりしたが
先生の方を向くとさらに驚いた。
先生は泣いていた。
そして俺を殴ったその震える手で
静かに話し始めた。

ある日、俺の父親が
赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で
俺の耳が一生聞こえないだろうことを
父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕で
どうにかならないかと
詰め寄ってきたこと。
「そして僕にこう言ったんだ。
『声と同じように私が手話を使えば
この子は普通の生活を送れますか』
驚いたよ。
その為には今から両親が
手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに
使えるようになるのに数年かかる。
とても間に合わない。不可能だ。
僕はそう伝えた。
その無謀な挑戦の結果は
君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね
何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死ぬなんて言っちゃあ駄目だ。」

父さんはその時していた仕事を捨て
俺の為に必死で手話を勉強したのだ。
そんなことも知らずと
聞きながら涙が止まらなかった。

今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。

父さんに紹介すると
「母さんに報告しなきゃな」
微笑みながら仏壇に向かった。

「親の心子知らず」と言う言葉もありますが、親子夫婦問わず相手のことを心底から思って行動できていたら、いつかは伝わるものだということでしょうか。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2023年10月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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