『価を以て実を買う』あたいをもってじつをかう

角田光代さんのお書きになった「幸せの値段」というエッセイがあります。

彼女は何かにお金を支出する時、それはお金で幸せを買うことだと言います。例えば、レストラン等で美味しい料理を頂いたり、あるいは店で欲しい商品を買って満足を得た場合、この幸せを得るのに○○円支払ったと考える訳です。

しかし、高い金額を支払ったのにまずい料理に出くわしたり、商品でも欠陥品に当たったりということもあれば、逆に、安い値段で美味しいものが食べられたり、お気に入りの商品をゲットできたりすることもあるでしょう。

「お値段以上○○○」という家具屋さんの宣伝文句もあったりしますが、このように、幸せの値段は時により人によりマチマチのようです。

話変わってお道には「値を以て実を買うのや」と言う言葉があります。

一般的には、金銭などの物質的な対価を払って、神様からの「実」を頂くと言う解釈をされていると思うのですが、おさしづにあるこのお言葉は、教祖の身上を案じてお伺いを立てた際に発せられたもので、この時は一同がそれを受けて、官憲から禁じられていたおつとめを決死の覚悟で敢行したのでした。それは物質的対価でなく、皆の真実を対価として、神様にお供えしようとしたものだと言えますね。

思いますに、金銭的な対価も、それを手に入れる為に必死に働いて得られたものかも知れず、命の次に大事とも言われるお金を差し出すというのも「実」であり「誠」のあらわれなのでしょう。商品やサービスを提供するにしても、そこに心の「実」が込められてなければお客様に満足しては貰えないでしょう。

つまりは「対価=実」であって、要は形に捉われるのでなく誠を捧げる姿勢が人からも神様からも「実」を返して貰える道だということでしょうか。

金銭は「実を以て実を買う」行為を仲介しているだけなのでしょう。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2024年7月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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