『幽明の境に届く祈りの声』

数年前、とある宗教団体の熱心な若い女性信者二人が、我が家を訪れたことがありました。

彼女たちは、自分達の信仰以外に救われる道はないと滔々と語りますので、適当に相槌をうったり反論したりしたのですが、そのうち
「死んだ人に本教のお題目を唱えてやると、険しかった死者の表情も必ず優しく穏やかな人相に変わる。これが極楽に行ける験(しるし)で、本教が真の教えであることの証拠だ」
と力説しましたので、
「それはあり得ることだ。人は死後も数時間は脳の細胞は生きており、耳も聞こえることがわかっておりますから、生前熱心に信仰されていて日常的に題目を念じ、そこに安らぎを感じておられた方なら、死の直後に 題目を聞かされて安らかな気持ちになる事はあり得るでしょう。が、クリスチャンの方がそれを聞かされてもそうなるかどうかは疑問で、むしろ讃美歌を聞かされた方が安らかな表情に変わるような気がします」
と答えると、納得したようなしないような顔をしておりました。

昨年の宮和分教会の月次祭において、部内教会の会長がされた祭典講話で、意識不明の重体で例え意識が戻ったとしても植物状態になると医者も匙を投げかけていた信者さんに、会長夫妻が毎日おさづけを取り次いだ所、5日目にその患者さんが突然会長夫人の名を叫ばれて蘇生され、医者達も奇跡だと驚かれたという話をされました。

また別の部内の会長さんが、病院で亡くなった信者さんに、来るのが遅くなってしまったことを詫びつつ、おさづけを取り次がせてもらい帰ろうとした所、ナースが追いかけて来て、
「あなたはどのような先生ですか。今何かされたんですよね。」
と尋ねられ、てっきり病院内での宗教的行為に対して咎められたものと思い、
「自分は天理教の者で、信者の為にお祈りさせてもらいました。すみません。」
と言うと、
「いや、咎めだてしてるんじゃなく、実はあなたが入室されてから、それまで心肺停止していた患者さんの心拍が急に動き出し、退出されるときにまた停止したもので、びっくりして何をされたんだろうとお伺いさせてもらったのです。」
と言われたとのこと。

これも同じように、死後にその祈りが通じ、反応されたということでしょうが、このように死の境にいたり、医学上は死者扱いされる方に起きたこのような現象で見えてくるものは、祈る側の真実は元より、祈られる側の生前の信仰の確かさなのかも知れません。

このコラムは、毎月発行の天理教宮和分教会月報「宮和だより」からの抜粋です。
掲載文:2024年10月1日発行「宮和だより」から
執筆者:二宮哲英

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