コロナ禍で思い出すまゝに– category –
-
コロナ禍で思い出すまゝに
「叔父の家の講社祭」
講社祭に行くと、布教所長である叔父はいつも集まった人に“たいやき”や“みたらし団子”、“アイス”などのおやつを出して、お茶をしながら談笑し、会長さんの到着を待った。その後そろって、講社祭が始まるのが常であった。 その日、私も近くまで行くと、角に... -
コロナ禍で思い出すまゝに
「まだまだ返し足りんよ!」
私の祖母は19歳で母を出産。母も19歳で私を産んだ。 私が生まれた時、祖母は38歳の若さだった。祖母を母と間違われ、母を姉と間違われることもあった。 母は長女で私は初孫。父方にとっても初孫だった私は、たくさんの叔父叔母たちに可愛がられて育った。 ... -
コロナ禍で思い出すまゝに
「代わりに供えた30円」
「あれ?この神棚の三宝に乗せてある30円はどうしたの?」と子どもたちに聞くと、小学校二年生の次女が 「えみちゃんのおばちゃんが小さくなった服やスカートを持ってきてくれはってん。お母さんはいつも人からもらった物は神様にお供えして…と言ってたから... -
コロナ禍で思い出すまゝに
「三宝のいちじく」
ある日、仕事を終えて帰宅したら、神棚の三宝に"いちじく"がひとつ供えられていた。子どもたちは遊びに行ったのか、家には誰もいない。「はて?誰がお供えしたのだろう…」 しばらくして帰ってきた小学校1年生の娘に「これ、どうしたん?」と聞くと「学校の... -
コロナ禍で思い出すまゝに
「お父さんの片思い」
我が家には43歳の主人と小学校へ通う3人の娘がいます。 ある晩のこと、いつものようにトランプ遊びをたっぷりやってから、日ごろ自分の服装などあまり気にかけない主人が「お父さんのシャツの襟がピーンとなるようにアイロンをかけてくれ」と5年生の長女に... -
コロナ禍で思い出すまゝに
「お供えしたか」
主婦はどの家でも家計のやりくりに大変だ。特に若い頃は… --- 叔父の家の講社祭で --- 「この服可愛いでしょ!100円のハギレで作ったの!」と自慢して話す私に叔父はこう言った。 「そうか、そんな良い物を作れるお前は神様にお供えが出来たか?」と。 「い...
12