ここスマ– category –
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善い理・悪しき理
おさしづに、 心一つというは優しい心もあれば恐ろしい心もある知らず/\の心もある 善い事すれば善い理が回る悪しきは悪しきの理が回る善い事も切りが無けねば悪しき事も切りが無い(明治25年1月13日 おさしづ) と諭されています 私たちは知らず知らずの... -
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陰口
おさしづに あちらでぼそぼそそちらであらこら言えば直ぐの道を通られやせん(明治23年11月22日 おさしづ) と、人の陰口を言うことを戒められています さらに 心を皆 純粋に治めてくれ蔭で言うより前で言え いかん事はいかんと蔭で見て蔭で言わんと直ぐに... -
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出来るだけの心
おさしづに、 成らん事をせいとは言わん出来るだけの心を以てする と仰せられます これは難しい事柄であったり人の気持ちが大きく左右するようなそんな物事に対処することについてのお諭しです 人間からすれば「難しいなぁ」「私に出来るかな…」と思うよう... -
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人をこぼつ
おさしづに 人を毀(こぼ)つでほこりが立つのやで と人を非難する、悪口をいうということについて諭され 人を毀ったり悪く言うてはどうもならん人を毀って何ぼ道を神が付けても毀つから道を無いようにするのやで(明治23年2月6日 おさしづ) 人を非難し、悪... -
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一つの礼
おさしづに、 十分たんのうして夕景一つの礼を言う(明治25年7月27日 おさしづ) とあります 一日の終わり今日一日も結構につとめさせていただいたとお礼を申し夕日を見送る そこに明日という喜びの日をお与えいただけます 一日を通して嬉しかったことや楽... -
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神がめど
日常生活において私たちは夫婦、親子、兄弟姉妹など人を相手にして暮らしています 教祖は 人がめどか 神がめどか神さんめどやで と仰せられています ところが、つい私たちはあの人がどう言った、この人がどう言ったといっては腹を立て心を曇らしてしまい... -
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末の楽しみ
おさしづに 今日はまあ何でこのように急がしいやろうと思う日もあり又 今日は何でやろうという日もある又 聞き難くい事を聞かねばならん事もあり又 不自由な日もあり又 有難い日もあり と仰せられます 私たちの日々にはいろいろな日があります 「なんか今... -
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心に事情
誰しも一生懸命通らせてもらっていてもなかなかうまくいかないで心を倒してしまうことがありますよね 難儀さそうと不自由さそうというをやは無い(明治24年1月21日 おさしづ) と仰せられます 私たち人間の親である神様は日々世界中の子供を可愛いいっぱい... -
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嬉しい
日々通る中で嬉しいことって数え切れない程無限大にありますよね 私は食べるのが大好きなので美味しいごはんを目の前にして嬉しい気持ちで合掌をします 日々嬉しい/\通れば理が回りて来るなれどこんな事では/\と言うてすればこんな事が回りて来る(明治... -
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ほこり
神はほこりは嫌いすっきり澄み切らにゃならん/\(明治31年6月12日 おさしづ) と仰せられます 神様の思召に沿わない心遣いを「ほこり」に例えて示され「ほこり」は嫌いとまでいわれています 教祖は 鏡にシミあるやろ大きな埃やったら目につくよってに掃除... -
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大きなもの 小さきもの
あるおさしづの一節に 『暑ければ暑かったであろう寒ければ寒かったであろうなあ』 と、人にちょっと言葉を添えて満足を与えて通ることを促されています。 これは小さな些細なことのように思われますが 大きなもの小さきものの理があるから大きものや日々... -
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心澄み切る
心澄み切ればそのまゝ何にも難しい事は無い(明治20年3月 おさしづ) と仰せられます また、みかぐらうたにも、 よくにきりないどろみずやこゝろすみきれごくらくや(十下り目 四ッ) と教えられています 自分を中心に物事を考え自分さえよければと思ってしま...